[知楽市の履歴書](2)アイディアミーティングの始まり
[知楽市の履歴書]:2003年に設立した知楽市の20年を振り返ります。
アイディアミーティングの始まり
初代専務理事 高本 芳昭
ケーネット知楽市(knowledge network Chirakuichi)は「知恵のネットワークで人々の持つ知恵を楽しく交歓する場所」という意味合いで名称を決めた。私たちは退職者を中心としたシニアの集まりである。永年積み上げたそれぞれの知識と経験を交歓することによって、新しいアイディアを生み出そうとする試みである。
毎月、第2・第4水曜日の午前10時から2時間、同じ場所で開催した。当初は数名の参加者でミーティングを行い、各々のアイディアを出し合ったが、実際には成果のない雑談会でもあった。雑談会でもよいから定期的に開催し、参加者はどんなことでも発言して帰ることにした。
人の身体に鼓動があるように、組織のクロックとしてミーティングから次のミーティングまでの間に温めたアイディアを提案する場とした。普段は趣味に生きるもよし、家事をするもよし、仕事をするもよし、それぞれのプライベートを尊重しながらミーティング参加を可能にするため、個々人の予定を組みやすくするように配慮した。
当初は石川県鉄工会館(金沢市鞍月)の石川県情報システム工業会事務所で開催したが、その後、石川県NPO活動支援センター(金沢市広阪)に場所を移した。時には市内中心街に足を運び、ミーティングの後の有志によるランチタイムも楽しみの一つとなった。
数回のミーティングの後、会議の名称を決めようという提案があり「アイディアミーティング」と名付けた。同時に議事録を作成し、公開するようにした。参加できなかった人への情報共有を兼ねた。どんな内容でも記録に残した。その時はジャンクボックスかもしれないが、何かのきっかけで触発し宝の山になるかもしれないという期待と継続のためである。
アイディアミーティングは、国会の予算委員会のようなもの。議案の検討・承認、情報の共有、会員相互の理解、事業アイディアの提案、各プロジェクト活動の報告など、全ての活動の心臓部として機能する。営業畑の人、技術畑の人、総務畑の人、管理畑の人、家庭の主婦、多彩なメンバーが、それぞれの環境で感じたことや、地域のニーズをアイディアとして提案し、議論を深め、参加者の知恵が加わり、次第にスパイラルアップしプロジェクト活動に発展する。
プロジェクト活動は、アイディアミーティングに提案された事業に賛同者が集まり、持続的な活動を行うものであり、必要に応じて知楽市以外のメンバーも参加できる。
初めてのプロジェクト活動もアイデアミーティングの雑談から生まれた。アイディアミーティングでEさんから「地元の写真クラブの仲間に「はぎの郷」という障害者施設に勤務する女性がいる、どのような障害者施設か知らないが見学してみよう」と提案があり、見学から得られた情報を基に議論を重ねて、石川県コミュニティビジネス創出事業に提案し採択された「トロルらく楽パソコンクラブ」(2004年8月~2005年3月)がそれで、その後「発達障害者支援プロジェクト」となって現在も発展継続中である。
次回は、その発達障害者支援プロジェクトの始まりについてお話したい。
注記:アイディアミーティングは22年目の現在も450回を超えて継続している。