[知楽市の履歴書](9)ITでつなぐ社会貢献の未来~知楽市に込めた思いとこれから

[知楽市の履歴書]:2003年に設立した知楽市の20年を振り返ります。

今回は、細野理事長(アイ・オー・データ機器 代表取締役会長兼社長、石川県情報システム工業会 顧問)にお話を伺いました。細野理事長が高本初代専務理事と出会い、知楽市の設立に関与するまでの背景、そして知楽市の活動や未来への期待について語っていただきました。

細野理事長(アイ・オー・データ機器ホームページより)

ITでつなぐ社会貢献の未来~知楽市に込めた思いとこれから

理事長 細野 昭雄

■高本さんとの出会い

私が高本さん(初代専務理事)と初めて出会ったのは、1962年(昭和37年)にウノケ電子(後のユーザック電子工業、現在のPFU)に同期で入社した時のことでした。私達が入社して間もない頃、会社は倒産寸前になり、労使集会が開催されました。高本さんの記憶によると(私の記憶とは少し違うのですが)、静まりかえった会場で最初に質問をしたのが私だったそうです。

私はウノケ電子には2年ほどしか居ませんでしたが、当時はまだ珍しかった運転免許を持っていたので、よく会社の車の運転手をさせられました。銀行にお金を借りに行く経理の人を乗せて行ったのです。銀行だけじゃなく、地元の有力者のところなどにもお金を借りに行っていましたね。今のPFUの社員には想像もできないでしょうが…

その後、私はウノケ電子を退社し、1976年に株式会社アイ・オー・データ機器を設立しました。そして、1986年には一般社団法人 石川県情報システム工業会(ISA)を立ち上げ、業界全体を支える活動に取り組みました。そのISAの活動を通じて、高本さんと再びご縁ができました。

2003年に高本さんがPFUを定年退職する際、「ケーネット知楽市というNPO法人を立ち上げたいので、理事長をお願いしたい」と相談され、私は快く引き受けました。

ユーザック電子工業『二十年史』p28 4.経営危機に直面

知楽市に期待したこと

知楽市を設立した頃、繊維や鉄鋼などの業界と比べると歴史の浅いIT業界でも漸く定年退職者が増え始めていました。定年後にIT企業のOBが何か社会貢献することができないか? 知楽市をそのような方々が活躍できる場にしたいというのが、私や高本さんの思いでした。

また、世の中のIT化が進む中で、営利企業や業界団体だけでは対応しきれない課題が増えていました。ビジネスを指向しない知楽市がそれらを補完する存在として役立てば良いとも考えたのです。

■設立当初の活動と成果

知楽市を立ち上げた当初は、正直なところ何をする団体なのかよくわかりませんでした。「ケーネット知楽市」という名前も不思議というか、意味不明でしたね(笑)。

ただ、集まった人達は実に多様で、皆さんバラエティーに富んだバックグラウンドを持っていました。その点では、これから面白いことができそうだと期待感を抱いていました。実際、アイデアミーティングを通じてさまざまなアイデアが生まれ、徐々に具体的な活動へと発展して行きました。

そんな中で、発達障害者支援活動が早期に成果を上げたことが大きな転機となりました。設立数年で「いとしご賞」(日本自閉症協会)などの表彰を受けることができたことは非常に良かったと思いますし、これがその後の知楽市の活動の基盤になったと感じています。

受賞歴
2005年9月 第6回顕彰事業自閉症実践賞「いとしご賞」受賞 日本自閉症協会
2008年6月 情報通信月間功労者表彰「北陸総合通信局長賞」受賞 北陸総合通信局
2013年2月 第14回石川県バリアフリー社会推進賞<活動部門>最優秀賞受賞 石川県
2013年12月 平成25年度バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰内閣府特命大臣優良賞受賞 内閣府
2016年10月 平成28年安全安心なまちづくり関係功労者内閣総理大臣表彰受賞 警察庁

これからの知楽市

日本のIT業界を振り返ると、かつては『シグマ計画』(*注)のような大きな構想で世界をリードしようとした時期もありました。しかし、現在ではGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)などに完全に追い抜かれ、多額のライセンス料を支払い続けるような状況です。さらに、多くのデータがGAFAなどのクラウド上にあるため、日本は言わば「人質を取られている」ようなものです。いつか何とかしなければなりません。知楽市のプログラミング教室で学んだ子供達が、将来その担い手になってくれるのかもしれません。

(*注)シグマ計画

1985年から1990年にかけて進められた国家プロジェクト。
情報処理振興事業協会(IPA)が民間コンピュータ企業と連携して推進役となり、ソフトウェア人材の育成などをUNIXをベースに展開した。

ITはビジネスだけでなく、社会の基盤となるプラットフォームでもあります。例えば、水道や電気のように、誰もが利用できるインフラとしての役割が必要です。コロナ禍によって、日本のデジタル化が先進諸国に比べて大きく立ち後れていることが明らかになってしまいました。生成AIなどのデジタル技術が急速に進化する今、知楽市が設立当初から事業目的として掲げて来た高齢者や障害者、子供達のようなIT弱者を支援する活動は、より一層重要性を増しています。

知楽市には、今後もISA会員企業のOBを含めた多様な人材を受け入れて、多彩な活動を展開して行って欲しいと思っています。もちろん、自分達だけでできることには限りがありますが、ICT支援員の活動や紙芝居の電子化ノウハウなど、これまで培ってきた知見を公開し、他のNPO法人と共有するのもひとつの方法です。そうすることで、より多くの皆さんに役立ててもらえたら嬉しいですね。

結び

この20年間、知楽市が果たして来た役割はとても大きいと感じています。GIGAスクール構想(2019年12月~)の中で「ICT関連企業OB」の活用がさかんに謳われましたが、知楽市は時代をずっと先取りしていたと言えます。やはり高本さんの発想はすごかったと思います。

これからも社会の変化に柔軟に対応し、多様な人材と共に歩む知楽市の未来に期待しています。(談)


ケーネット知楽市の沿革
2003年3月 石川県知事より特定非営利活動法人認証
2004年4月 IT相談事業(石川県IT人材開発センター)(~2005年3月)
2004年8月 自閉症者のためのパソコン教室(トロル楽々パソコンクラブ)及びWebコミュニティ運用の実証実験(~2005年3月)
2005年4月 「トロル楽々パソコンクラブ」終了後、発達障害者支援プロジェクトとして「IT交流サロン・パソコンクラブ・インターネットカフェ」の運営開始(継続中)
2005年5月 e-messe Kanazawaに初出展(以後毎年出展)
2005年5月 文科省インターネット子ども教室開催・運営(金沢・野々市・白山・津幡・加賀にて7教室)(~2006年3月)
2006年4月 「金沢コミュニティ情報ネット」活性化支援(~2007年3月)
2006年 金沢ゆめまちづくり活動支援事業
2007年3月 中古パソコン再生作業支援(於:ジョブスタジオノーム)(継続中)
2007年4月 発達障害者関係者支援ネット「パースウェブネットクラブ」の運営(~2015年3月)
2007年7月 SNS版「金沢e広見」の構築・運営(金沢市委託事業)(~2011年3月)
2009年4月 いしかわ発達障害情報マップ「パースウェブマップ」の構築・運営(~2016年3月)
2009年5月 地上デジタル相談窓口業務(金沢市委託事業)(~2011年9月)
2010年8月 いしかわ介護福祉情報の構築(石川県福祉協会他)(~2011年3月)
2012年4月 「金沢e広見ブログシステム」の構築・運営(金沢市委託事業)(~2018年3月)
2015年6月 プログラミング教育プロジェクト活動開始(継続中)
2016年11月 サイバー犯罪防犯ボランティア(石川県警察本部委嘱)(継続中)
2019年4月 紙芝居の電子化プロジェクト活動開始(継続中)
2021年3月 YouTubeに「知楽市紙芝居ライブラリ」を開設
2021年12月 かほく市ICT支援員業務を受託(継続中)
2023年8月 創立20周年を迎え、祝賀会を開催
2023年9月 「障害のある方のスマホ・パソコン相談窓口」(金沢市)に相談員を派遣(継続中)

(10)へ続く

 


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